サトル弁当

娘の通う高校はまだ通常モードどはいかないのだが、弁当がスタート。
いつぶりだ? もう思い出せない。
弁当作り、それは前の日の夜に始まる。
夕飯を、ちょびっと取り分けておくところからだ。
いや、その前の夕方の買い物からだ。
とりあえず、赤と緑をそろえておく。
赤といえば、プチトマト。緑はインゲンとかブロッコリーとか、アスパラとか。
黄色の卵は、あったっけ?

そうだった。
日々の夕飯だって、弁当のことを考えながら献立を考えるのだった。
刺身とか煮魚とかは、却下。
その場合は、他に弁当用に何か用意せねばならない・・・・とかなんとか考えることじたい、久しぶりすぎる。

しかし、ここのところのコロナ禍で、サトル父さんが我が家の台所を牛耳っており、
私は冷蔵庫事情に疎くなっていた。
ああ、始まるのか。ついに、弁当生活が始まるのか、と冷蔵庫を開けて眺めていたら、
「初日は俺が作る」とサトル父さん。

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これが、それ。
私には、既視感がある。
「おべんとうの時間がきらいだった」の本を読んでくれた人は、「おおっ」と気づくと思う。
煮込みハンバーグとゆで卵。
初めて、彼が私に作ってくれた弁当のおかずが、それだった。

その日、娘は「おいしかったよー」と空の弁当箱を持ち帰った。
サトル父さんが、にやりとして、
「俺さ、あの本を読んだばっかりだから、影響されたらしいよ」と言った。

私のエッセイ本が出版された後、自分が本の中に出てきて変な気分だ、と言いながら再び読んでいたのだった。

今日からは、私が弁当作りである。
いんげんの肉巻きと卵焼き。
ああ、結局いつも同じなんだよなあ。で、明日はどうする?



# by naomiabe2020 | 2020-06-25 16:29 | 食べること | Comments(0)

距離感

昨日、取材場所へ向かうため、朝7時代の電車に乗った。
急行。ところが、ドアが開いた瞬間、「あ、だめだ・・・」と足がすくむ。
すでにぎゅうぎゅうの満員電車で、
私のレーンに並んでいる皆が乗り込むスペースはないに等しい。
でも、なさそうに見えて、
最終的にパズルのピースみたいにうまくおさまるのが、日本の満員電車。
押されるようにして、一歩足を踏み入れたのだけれど、「だめだ・・・」とどうしてもその先へ行けず、
「すいません」と謝りながら、サラリーマンの皆さんの間をすりぬけて電車を降りた。
結局、地下鉄にもぐるほうの、各駅停車を選んで乗る。
こちらは、もみくちゃにはならずに済んでほっとした。

コロナ、でソーシャルディスタンスなんて言っているけれど、これが、現実だ。
肩が触れるどころではない、完全密着。
コロナで、足がすくんだというより、久々の満員電車のすごさに圧倒されて乗れなかった、というのが正しい。

それが、昼頃の電車に乗ると、様子は一変して、ひと席ごとに間が空いていて、
その隙間に座ることさえ、ちょっと申し訳ないような気がしてくる。

人との距離感を常に考えさせられる。
知らない人と完全密着なんて嫌だけど、距離を、と言われることがしんどい。

インタビューをしていて、私はどうもじわじわと、相手ににじり寄っていくところがあるらしい。
写真家の芥川さんに言われて、ええ?本当ですか?!と驚いたのだけれど、
意識してみれば、確かに話に夢中になっているうちに、椅子をずずずっと移動して近寄ったり、
首を伸ばしたりして、ついつい相手に近づいている。夢中になると、そうなっている。

で、コロナ。

距離感を、と自分でちょっと意識しているのだけれど、難しい。
忘れる。それくらい、話を聞くことで一生懸命すぎて、他のことまで気がまわらん。
おっと、いけない、近すぎた? と後でちょっと反省する。
ここ最近の取材は、マスクをしている。
それもあって、相手の声が聞き取りにくい、というのもある。

ああ、マスクなしで表情を見ながら、クリアな声を聞きながら、
インタビューをできる日が待ち遠しい。
そんな日が、いつ来るんだろう。
人の表情というのは、言葉以上のものを表現していると思うから。










# by naomiabe2020 | 2020-06-23 17:28 | 日々のこと | Comments(0)
無事、本の刊行となった週末、娘の学校の保護者会の帰りに書店へ。
これほど、ドキドキする瞬間はない。同時に、怖い。
大型書店ならば、置いてくれているはず、と思うのだが、もしなかったら? どの棚か? と心がざわざわする。

まずは、いつもデパートで買い物をした時に立ち寄るS書店。
いつも寄る、ということは個人的に好きな書店ということで、勝手に期待が高まるのである。
あれれ? ないよ。
先週、岩波書店の広告が朝日新聞に載った時、同じ6月刊行に沢木耕太郎さん「星をつなぐために」や、
木内みどりさんの「またね。」が同じ広告ページに並んだ。
沢木さんのご本は、沢木耕太郎セッションズ「訊いて、聴く」の4部作の最終巻の4部目。
特別コーナーに、ずらっと素敵に並べてあった。
木内さんのご本も、平積みで。
それぞれ、ノンフィクション、エッセイの本が並ぶ一角にあった。
やはり、この場所に置いて欲しいと願っていた私は、この時点でちょっとしょげる。
ふと、移動式カート(これから本を並べるための本が置いてある)を見ると、
自著「おべんとうの時間がきらいだった」が、何冊もカート上に置いてあった。

おお、まさしく今、書店員さんが本を並べようとしている!
なんて運がいいんだろう、と思いながら、ちょっと離れた位置から見守ることにした。
ちらり、ちらり。

ちょっと一周してくるか、とあたりを一巡りしてから戻ってくると、
カートの中に自著がない。
ところが、私がこのあたりか、と考えていた置き場所にも自著はない。
どこにもない。

むむむ・・・・。予感がして、検索をかけてみたところ、
上の階の、料理本コーナーに置かれていることが判明。

それは、「おべんとうの時間」(木楽舎)1~4が置かれてある、
いわば私にとっては馴染みのある、コーナーだ。
そこに、料理本や料理エッセイと並んで、自著が平積みされていた。
もう一か所、実用書の新刊コーナー(この存在は知らなかった)にも。
クッキング本や、チコちゃん本、片付け本などと並んで、自著があった。

「おべんとうの時間」の著者である私にとっては、
その本がある場所に、「おべんとうの時間がきらいだった」を並べていただくことは、ありがたい。
なぜなら、どっちも売れたらいいな、と思うからだ。姉妹版ともいえる。
「おべんとうの時間」を読んでくださっている人、おべんとうとか料理に興味がある人が、
この本を手に取ってくれるかもしれない。

しかし、今回の本は、料理エッセイではない。
そう思って手に取ってもらったら、最初からげげげ、と引いてしまって読み切れないかもしれない。
話が違うよ、と怒りたくなるかもしれない。

今回は、「読み物」というカテゴリーで本を出したかった。
料理エッセイというくくりではなく、家族について書いた本だ。
だからこそ、文芸のコーナーに置いて欲しいと願っていたし、
本の装丁を考える時も、「読み物」を意識した。

文芸のコードで配本されたものだから、文芸コーナーの移動式カートの中に最初はあったのだろうが、
それを、きっと気を利かせた書店員さんが、料理本コーナーに持って行ってしまったということだろう。

私自身が、S書店のノンフィクション、エッセイなどの文芸コーナーに対する思い入れが強いもんだから、
よけいに、ショックなのだろうな。
あの場所で、自分がいろんな本に出合ってきたように、誰かがこの本に出合ってくれたら嬉しい、という思いが強かったから。

本屋さんは、毎日すごい数の本が入ってくるなかで、置き場所には相当苦慮しているだろうと思う。
だから、それを思うと頭が下がるし、私など無名ライターだから大きなことなんて言えないのだけれど。

しょんぼりしつつ、J書店へ行くと、
こちらも料理本コーナーに置いてくださっていたのだが、
入ってすぐの大きな棚にも、並べてくれていて、嬉しくなった。
悩ましき、本屋さんの置き場所_c0402074_12224464.jpg
斜め下に、沢木耕太郎さん。
そして、その隣は私が今読んでいる大好きな内田洋子さんの「サルデーニャの蜜蜂」が!

あちこちの本屋さんに行きたいけれど、
同時に怖い。
本屋の棚で挙動不審な人がいたら、それは私です。








# by naomiabe2020 | 2020-06-17 13:07 | ライターの仕事 | Comments(2)

本日、エッセイ本が刊行

岩波書店から「おべんとうの時間がきらいだった」本日刊行。
本日、エッセイ本が刊行_c0402074_10280281.jpg
本日、エッセイ本が刊行_c0402074_10281033.jpg
おととい、編集のUさんが見本本を抱えて来てくださり、うちの最寄り駅近くのカフェで受け取る。
じゃーん、と本を開いた時、なんとも言えない気持ちに。

これまでは、雑誌に連載したものを、書籍にまとめるパターンだった。
それだって、いざ書籍にするとなると文字数を整えるために昔のインタビューを引っぱりだしてきて付け加えたり書き直したり、
登場いただいたひとりひとりに確認の電話を入れたり、やることは山積みで、
いざ本にまとまると、感無量になる。

ただ今回は、誰かを取材したものではなく、
向き合うべきは、自分自身。
連載していたものではなく、書きおろしだ。
誰から発注を受けたわけでなく、本にしたい、という思いだけでえっちら、ほっちら、書いてきた。
本を出版できるか、できないか以前に、岩波の編集者Uさんに、原稿を読んでもらいたい、という思いで書くことができた。
Uさんは、岩波新書の担当で「里の時間」を上梓した時にお世話になった。
Uさんの存在に、どんなに助けられたか。
誰かがいてくれる、ということが、どれほど力になることか。

本日、エッセイ本が刊行_c0402074_10281497.jpg
さて、表紙。うちの娘が小さかった頃の写真を夫に探してもらった。
候補をしぼって、
プリントアウトしたものを、他の人の本の表紙をはがしてつけかえた。
自分の部屋の本棚に並べてみたり、リビングの目につく場所に置いたりして、
何日も一緒に過ごす。
おもしろいもんで、写真で見るのと、本の表紙として見るのでは、
イメージが違うのだ。
Uさんも、私と同じようにして何日も考えてくれて、
お互いに一致したのが、「おにぎりをほおばる娘」の表紙だった。

なんだかんだ言いつつ、
夫、娘の気配を感じる、阿部家の本となった。


# by naomiabe2020 | 2020-06-11 10:56 | ライターの仕事 | Comments(4)
午前中、普通に使えた仕事場のパソコン。
午後、電源を入れたら、画面がちらちら始まり、
まるでホラー映画のはじまりの場面、みたいな状況になって、制御不能。
ぶっこわれてしまった。

前触れが特になかったもんだから、
最近の原稿など、ハードディスクに保存できていないもの多数。
それでも、最近の仕事の原稿は納めた後だったので、
1から新たに書き直す、という事態にもならず。胸をなでおろす。
あああ、本当にあせった。

この仕事、パソコンなしでは過ごせない。
修理には1か月くらいかかるらしい。
とほほ・・・・仕方なく新しいものを買いにヨドバシカメラへ。
夫の車に乗せてもらって、さて出発! となったら、車が変な音を立ててエンジンが止まってしまった。
あれれ? 車も壊れた?
どうした? お祓いが必要か? と一瞬にして凍り付きそうになる。
祈るようにして、再度エンジンをかけると、平常に戻る。

しかも、最近は例のリビングの時計がずれた時間を指しながら、ふつーに動いている。
あんた、電磁波の時計だろうに、と思う。
思ってたら、またなおった。

いろいろが、変である。

でもまあ、いっか。

ホームページのリニューアルをYさんにお願いしていて、
ついに、公開の日を迎えることができた。
Yさんに感謝。
新しいパソコンで、新しいホームページを見られてよかった。

これからは、「ひるけ」として阿部了のホームページに私も割り込ませてもらうことになった。
みなさま、どうぞよろしく。







# by naomiabe2020 | 2020-06-09 14:22 | ライターの仕事 | Comments(2)

フリーライター阿部直美のブログ。カメラマンの夫とともに、「お弁当」を追いかけて日本全国を旅しています。日々のちょっとしたことを綴るブログです。


by 阿部直美