「大相撲の土俵を作ってる人を見つけた!」
サトル君が興奮していたのが、2年前の夏のこと。
またまたマニアックな人探しだなあ、と思いつつ、
夫婦で連載している「わっしょいニッポン」(東芝エレベーター発行の冊子)
に登場してもらおう、ということで取材に行った。
あれは、お盆の始まりの日だった。
酒井さんの経歴は、あまりにぶっ飛んでいて、
私はインタビューの途中で何度ものけぞって、平伏して、
喜怒哀楽、すべてが自分の中でぐるぐる駆け回って忙しい。
酒井さんは、もともとサラリーマンだったのだけれど、
町おこしを考えて「米俵マラソン」を企画したことから、自分が藁職人になってしまった。
あれよ、あれよ、といううちに、なぜだか大相撲の土俵を背負う人になっていた。
すごい展開を生きているのだけれど、
本人は誰よりも腰が低く、声も小さく、控えめ。
あの日、「午前中はちょっと予定が入ってて・・・・」ということで、
取材は午後の中途半端な時間スタートだった。
大相撲の土俵も手掛けている人だし、藁の仕事で忙しいんだろうなあ、
と思っていたのだけれど、
話の最後に、「今日は朝から五平餅を焼いていたんですよー」と
ニコニコしながら酒井さんが言うので、
びっくり仰天してしまった。
五平餅を焼くアルバイトをしていたのだ。
あの時に、私は決めた。
私が、酒井さんのことを世の中の人に知らせなくちゃ、と。
出会ってしまった私の役割だ。
というのも、酒井さんは自分が「米俵」の作り手が
どんどんいなくなっていく現実を知ってしまった以上、
そのまま、見て見ぬふりをするわけにはいかない、
日本の大事な文化を途絶えさせちゃったら大変だ、
そんなことをしたら、神様に怒られそうだ、
という妙な使命感に捕らわれてしまったと言っていた。
私も、酒井さんを知ってしまったのだから、
そのままにしておくわけにはいかない。
というわけで、「わっしょいニッポン」の記事を書いた後も、
夫婦で酒井さんの追っかけをはじめた。
あれから2年、ずっとお呼び腰だった「大相撲」の土俵築の取材も無事にできた。
5月場所の両国国技館に、3日間も撮影で入らせてもらうことが叶った。
このたび「暮しの手帖32号」にて、特集ページで発表する機会を持てました。
今日から、書店に並んでます。
ぜひ、見てね。
そいでもって、これから大相撲を見る時には、
ぜひとも、足元の土俵も注目してくださいませ。
「わたしの仕事」は、32号は休載です。
33号からまた連載続きます。
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