メリークリスマスも、年末の振り返りも、あけましておめでとうも、
全部をふっとばしてしまった。
気づいたら、1月も後半。
能登半島で起こっている現実と、羽田空港での事故の衝撃。
気持ちが追いつかずに、だからって私が何をできるわけもなく、
ぐずぐずしながら、日にちばかりが過ぎていった。
被災された方々、この寒さのなか、どうぞお身体を労わってください。
昨年のクリスマス頃、私は体調を崩して寝込んでしまった。
年末年始は、なんとか復活して群馬の私の実家へ。
大晦日は、母も一緒に恒例の「すき焼き」を食べる。
帰省していたヨウも一緒だったので、母は嬉しそうだった。
母のその顔を見られただけでも、良かった。
「紅白歌合戦」が始まって少しして、
「あたしは、紅白好きじゃないから」と母が早々に布団の敷いてある自室に引きあげて、
よし、今だ、と私は台所に立った。
私には、子どもの頃に紅白歌合戦を家族揃って観た記憶がない。
観たいとも思わなかった。
なぜなら、当時、ジュリーがきんきらの衣装で出てきたりしたら、
それこそ父が、飲んでいるウィスキーのコップを投げつける勢いで、
テレビを消せ!と怒鳴ったからだ。
あいつはダメだ、こいつもダメだ、と若い歌手にいちゃもんをつける。
だから、全く楽しくない。
発火点が多すぎる紅白を、一緒に観ようだなんてこれっぽっちも思わなかった。
そういうのは、この年になっても体にしみついてしまっている。
娘と夫は、毎年ふたり、私の実家のこたつで最後まで紅白を観ているのに、
私と母は、その場にいない。
母は自室で他のテレビを観ているし、
私は大抵、すぐに寝てしまう。
(こういうのって、理屈じゃなくて、体が拒絶してしまっているんだろうか・・・)
だけど、今年は違った。
なにせ、母がいると仕事が進まないからだ。
台所周り、冷蔵庫の中をきれいに片付けたいのに、母が居間にいると全くできない。
「わたしがやったのに、なぜやるんですか?」と横に来て文句を言うので、
母がいなくなってから、家じゅうをごしごし、やるしかない。
食べものを、捨てに捨てた。
賞味期限切れ、いつ作ったのかわからない煮物、
何十個の胡麻豆腐と月餅、皿が傾いて茶色いベトベトが流れ出ている、何かわからない食べ物。
1年の締めくくりの時間にやったのが、それだった。
けん玉は、背中越しに事の成り行きを見届け、
さだまさしやクイーンが出てくると、手を洗ってテレビの前に座った。
お母さん・・・・・大丈夫かい?
冷蔵庫の中を片づけながら、やっぱりショックだった。
食べものを片っ端から捨てる行為は、やっぱりどうしても心が痛む。
でも、正直なところ問題はそこじゃない。
賞味期限切れを判断できなくたって、いい。
物を溜め込んでしまっても、いい。
その判断は、誰かに任せることができるから。
一番の問題は、母が聞く耳を持たないということで、
いくら私が、腐ってるよね、と言っても、
その現物を、ほら、と目の前に突き出しても、
「大丈夫です」「捨てないでください」と言う。
それで、ゴミ袋から捨てたものを引っ張り出す。
そーっと捨てても、本人は冷蔵庫にあれが何個あったのに、
と覚えていたりする。
認知機能、しっかりしてるじゃん、とこっちが驚く。
でも、もともとの性格でもあった。
もともと、こんな感じだったよなあ、と思う。
もともと、人の意見を聞かなかったし。
もともと、こだわりが強かったし。
もともと、日本語を喋っているのに話(心)が通じていないことが多かったし。
つまりは性格で、もともとの気質が煮詰まって煮詰まって今に至っている。
発達障害と認知症が合体すると、こういうことになるのかな、と思う。
そういう本を読みたい。
発達障害を持つ人が、認知症になっていく時の現実について。
本屋では見かけたことがない。
だから、私が自分で目の前の現実を見届けるしかない。
ちょっとキツイ、年の始まりだった。
私は母の「不満受付窓口」から、
「訴え窓口」になっていた。
よかれと思ってやることが、母には全部気に入らない。
「やめてください」「なんでそんなことするんですか」と、怒りで震えながら訴える。
です、ます調で訴える。
大丈夫、大丈夫。
ワタシには、夫がいる。娘がいる。
こっちには強力な仲間がいて、守られている。
だから、笑って聞き流そう。
娘が言ったのだ。
「おばあちゃんさ、物凄く怒るんだけど、その後、こっちが笑ってみせると、
おばあちゃんもにこっとするんだよ。笑うと、それがうつるんだよねー」
本当にそうだった。
特に意味もなく、ヨウがにこっと笑ってみせたら、
母もそれにつられて、にこにこと笑ってみせたのだった。
あらま、すごい。
娘に教えられたのだった。
ワタシ1人では、そんな仏様みたいな大きな心で事に当たれないけれど、
こっちに仲間がいる複数体勢の時ならば、なんとかやれる気もする・・・・・。
ギターを抱えて帰ってきた娘は、
あいみょんとスピッツを弾き語りしてくれた。
これは、感動した。
1年前、うーさーぎー、おーいし、と「ふるさと」を唸っていた娘が、
あいみょんだもの。
赤ん坊の頃、この子の泣き声はハスキーだなあ、と思っていたんだ。
ちょっと笑ったのは、
群馬の実家で、ヨウがギターを弾こうとした時。
おばあちゃんにも、聞かせてあげたかったのだ。
ヨウがギターを、じゃか、じゃん、とやり出したら、
途端に、テレビをぴっとつけたおばば。
続けて弾いていると、
おばばは、「聞こえないねえ」と言い、テレビの音量をどんどん上げたのだった。
背中越しに聞きながら、台所をごしごし掃除していたワタシ。
さて、どうなるか? と固唾をのむ。
「ねえ、おばあちゃん、ギター聞きたくないの?」
「聞きたくない。それより、将棋しようよ」
おばあちゃんがやりたかったのは、将棋なのだった。
そして、ふたりで将棋をさしていた。
ヨウ、ありがとう。
母は嬉しそうだった。
母が嬉しいなら、まあそれがなによりだ。
娘がまた、大学へ戻っていった。
そして、心にぽかんと穴。
いったい、何度これを繰り返すと、私は慣れるんだろうか。
今年は年賀状を、ほとんど書けないまま今に至ってしまっている。
あれ、阿部さんから年賀状こないぞ、と思っている人、ごめんなさい。
ちょい、ネガティブ寄りだったので、
そういう時にはハガキは出さないほうが良いと思っていたら、タイミングを逃しました。
今年もよろしくお願いします。
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