朝家を出る直前に、あ、今日の授業の準備ができてない、と焦る。
えーっと、えーっと、今日は何曜日?
時間割は、どこにある?(え? そもそも、そっから?)
国語と地理と、え? 教科書はどこにあるわけ?(机の上ぐちゃぐちゃ)
やだ、体育があるのに、体操着って洗濯してあったっけ?
やだ、ワタシったらまだパジャマじゃん。
ああ、電車に間に合わない。間に合わない、ああ、もうダメ―。
・・・・・はい、夢の話です。
こういう夢を、未だに見ている。
52歳にして、学校の時間割うんぬんで、焦りまくっている。
そして、この夢には理由があるわけで、
実はぼーっと生きているように見えて、内心、もがいているということ。
次の取材先、決まっていない。
早く決めないと、ヤバい。
自分の不器用さに、ほとほと嫌になったりする。
原稿を書いている日は、人探しモードには到底なれない。
そうすると、モヤモヤしながら時間ばかりがたってしまって、
こんな夢を見るわけだ。
でも、こうやって追いつめられて切羽詰まった時こそ、
誰かに出会える、というものだ。(そう信じている!)
中途半端に余裕がある時に、ぼんやり考えていても、なかなか見つけられないのだけれど、
お尻に火がついた時こそ、時こそ! 執念で見つけるのである。
取材をお願いしたい人を見つけた時には、
その人のことだけを考える。
つまりは、もしダメだった場合、の人を選ばない。
予備はなし。
そういうのは、不誠実な気がしてしまうからだ。
なぜなら会ったことのない人に、ぜひ会いたいです、とお願いするのは、
相当の思いを送らないといけない、と思うのだ。
もしダメだったら、なんて気持ちが一ミリたりともあっては、うまくいかない。
というわけで、ラブコールを送った相手から断られたら、
かなりがっくりする。
でも、断られたら仕方ないので、次へいく。
また、必死に誰かを探す。
効率が悪いといえば、確かにそうなのだけど、
そういうやり方しかできないから、ずっとそうしてきた。
でも不思議だ。
取材先が決まらない、という夢は見ない。
いつも、ワタシは学生のまんまで、
教科書がどうの、体操着がどうので焦っているのだ。
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