石垣島には、玉津先生がいる。
一目だけでも顔を見たいけれど、まだコロナ禍ではあるし、
遠慮する気持ちもあって、ぐずぐずしていた。
取材が無事に終わって、飛行機の時間までに余裕があった。
思い切って電話を入れると、「今日はヒマで、のんびりしてたよー」との返事。
先生の自宅へ向かった。
玉津先生との出会いは、2008年。
もう15年も前だなんて、驚くばかりだ。
伊良部島の高校生のお弁当を取材させてもらった。
その時の校長が、玉津先生だ。
取材先の校長先生と仲良くなるなんて、普通では考えられない。
そう、玉津先生は特別だ。
とにかくユニークで温かい人なのだ。
取材で伊良部高校を訪れた日、
「これから職員会議が始まるから、阿部さん達も出ていきなよ」と言われ、
突然、阿部ファミリー(保育園児の娘も同伴)が職員会議に特別参加。
「皆さん、こんにちは。おべんとうの取材で東京から来ました。阿部です」
と挨拶をさせていただき、先生方が皆さん、にこやかに迎えてくださった。
あれは嬉しかった。
その後の取材が、本当にやりやすくなった。
おべんとうの取材の時、私たちは適当にコンビニでおにぎりなどを買っておいて、ぱぱっと合間に食べるのだけれど、
その日は、玉津校長先生の提案で昼食をごちそうになった。
保健室が、あっという間に昼食会場に!
タケノコみたいな食感のアダンの新芽の炒め物とおにぎりを、調理の先生が作ってくださった。
アダンの新芽は、伊良部島や宮古島では食べる習慣がないのだけど、
玉津先生の故郷、石垣島ではよく食べるそうで、
以前採って冷凍しておいたものを、私たちのために使ってくれたとのこと。
島によって食文化が違うことも知らなかったし、
そもそも、伊良部島と石垣島の位置関係さえも、あの頃はよくわかっていなかった。
何しろ、沖縄の離島はその時が初めてだ。
今は宮古島と伊良部島の間に橋がかかり、地続きになったけれど、
当時はまだ、フェリーで行き来していた。
伊良部高校の校長先生だった玉津先生は、校長用の住宅に単身赴任で暮らしていて、
他の先生方は、宮古島にある教職員の住宅から毎朝フェリーで学校まで登校していた。
台風の時などは、フェリーが出ないので学校に先生が来ない、という事態になったそうだ。
そういう話を、お昼ご飯を食べながら聞いたのだった。
学校取材で、あんなに先生方と交流できたのは、
今となっても驚きだ。
その時に取材させてもらった、ケイタ君はきっと立派な青年になったのだろうな。
「高校のPTAの皆さんとバナナの木を植えるんだけど、阿部さんたち見に来る?」
玉津先生から連絡をいただいたのは、あの取材から半年後くらいだったか。
ちょうど、旧正月の頃だった。
雑誌の特集に絡められるかな、という思いがあったのだけれど、
企画書を出すとか出さないとか、そんなことをする前に、私たち家族は島へすっ飛んで行ったのだった。
なぜなら、とても面白そうで見逃したくなかったからだ。
その2度目の旅で、私たちは玉津先生にたくさんの人を紹介していただいた。
黒糖を作る人、グルクンという魚の追い込み漁(アギャー漁)の親方、
製糖工場も見せていただいたし、旧正月の行事の席にも呼んでいただきごちそうになった。
PTAの皆さんとの「おとーり」(泡盛をみんなで飲んで、順番に口上を述べる)にも参加。
夜、真っ暗闇の海の中で、エビ捕りもやった。
もちろん、メインのバナナも。
夢のような時間だった。
というか、あれは夢だったんじゃないか、と思ってしまう。
玉津先生が、ひょいっと現れては次の人へと私たちを運んでくれたのだ。
添乗員みたいな、校長先生だった。
私は、何も恩返しができていない。
その玉津先生が、このたび牧場主になっていた!
「いいところに連れていくよー」と、向かった先がこちら。
写真出してもいいよー、と言っていただいたので、こちら玉津先生。


うみそら牧場。
その名の通りに、海と空しか見えない。
ここにいるのは、ヤギちゃんたち。
何年も前に先生に会いに行った時に、ヤギのことを聞いていたのだけれど、
あの後、本格的にスタートしていた。


緑の草原でヤギを遊ばせたい、と思ったそうだ。
「少女めいた夢だけど・・・・」と。
いやいや、私がここで遊びたい。
ヤギの刺身を生まれて初めて食べた。
その昔、銀座のデパートの食品売り場で、楊枝に刺したヤギのチーズを店員さんに試食でもらい、
何気なく口に入れて、目を白黒させた経験がある。
あれ以来、ヤギは苦手だと思っていたのだけれど、
この刺身は、まるで違う。
歯ごたえがあって、鼻の奥にふわーっとヤギの香り。
甘い香りといおうか。
ヤギのスープは、内地の人や女性向けに開発したとのことで、
「まろやかだよ」とのことなので、楽しみに。
娘が帰省した時に、一緒にいただきまーす。
うみそら牧場
http://umisora.okinawa/