今年のお盆の花火大会は、賑やかだった。
公園内に、ぎっしりと屋台が並んだ。
たぶん、コロナで祭りがなくなったところが多くて、
テキヤの皆さんが、小さな温泉街のイベントに集合することになったんだろう。
お面も、金魚すくいも、ガラス細工も、輪投げもない。
時代は変わった。
フローズンドリンクとかき氷、冷凍ミカン、などが人気らしく、
さすがに暑いから売れていた。
焼きまんじゅうは、あった?
娘はまだ帰ってきていないので、
サトル君とふたりでぶらぶら歩くが、特に欲しい物もない。
公園の木々の隙間から、花火を眺めた。
誰が何を言うでもないのに、後ろにいる人を気づかって皆が座る。
みんな、花火が見える場所を求めてうろうろして、ここだ、という場所を各自が探し当てるのだけれど、
後から来た人は、遠慮しながらすぐにしゃがむ。座る。
とてもいいな、と思った。
本当に小さいことなんだけれど、些細な気遣いなんだけれど、私はなんだか嬉しかった。
自分の地元の祭りだから、そう思うのかもしれない。
花火がじゃかじゃか上がり、ふと周りを見渡してみたら、
老若男女、家族、カップル、友達、いろんな人たちが座っていて、
一発あがるごとに「うわー」とか、「いいじゃん」とかいう。
ぐんまちゃん、ドラえもん、あんぱんまん、の顔が浮き出てくる花火は、
そのたびに、みんなが反応する。
小幡さーん、みんな楽しんでますよー、と言いたかった。
すごい、きれいですよ。
花火師の小幡さんを取材したのは2年前か。
小幡さんのお父さんの時代から、私はずーっと見ている。
小学校の低学年の頃だったか、
父方の祖母、おばさん、おじさん、いとこたちが珍しく我が家に勢ぞろいした。
さあ、花火が始まる、となって、皆で2階の窓から這い出て、
屋根の上に座った。
うちの屋根は平たい。
座布団を敷いて、その上に寝ころぶと、目の前にバーンと大きな花火が広がった。
特等席だ、と言い合った。
「直美がもっと小さい時は、花火が落ちてくるって怖がって泣いたんだ」
と、父が笑う。
それは父のお気に入りの話で、お盆のたびに聞かされた。
それくらい、迫力満点だったのだ。
母は、夏の花火のせいで屋根が傷んだ、と後々不満を言っていたけれど、
家の前の林の木がボーボーに伸びて花火が見えずらくなったのと、
打ち上げ場所が変わったのとで、いつからか屋根にはのぼらなくなった。
そんなことを思い出しながら、今年の花火を見ていた。
嫌なことばかりじゃない、そういう時間もあったのだなあ、と思った。
カメラを抱えたサトルくんは、どこかへ行って見当たらない。
母は、しゃがむのがつらいからと、私から離れたところで立って花火を見ていたのだけれど、
植え込みの前で、うちわでパコパコあおいでいる。
「お前も持っていきなよ」と手渡されたけれど、
ハッとして、断った。
だって、キョーフのうちわだもの。
(このたびの帰省で、2つのうちわを激しくこすりあわせてコバエを潰す母も見てしまった!)
花火が終わって、家に帰ると、
「おとうさんってさ、いつも自分は花火を見に行かなかったよね」
と、サトル君が懐かしそうに言った。
家から数歩外へ出るだけで見えるのに、父は決して見にいかなかった。
ドーン、ドドーン、という音だけを聞いて、
ひとりで晩酌の続きをしていた。
たぶんあれは、ひそかな抵抗、反発だ。
戻ってきた私たちに「どうだった?」と必ず聞き、
サトル君が「花火、すごくよかったです」とこたえると、
ま、大したことないけどな、みたいな顔をする。(でも、満足げでもある)
お盆には、本当にいろんなことが起こった。
でも、全部が過去のことになり、父はいなくなり、
公園のまんなかに据えられてあった、盆踊りのやぐらさえ、今年はもうなくなっていた。
東京に戻ってきて、サトル君が夕飯に「メカジキの味噌漬け」を焼いた。
おとーさんのことを思い出したら、これを食べたくなってさ、と。
私もサトルくんも、わざわざ買ったことのなかったメカジキの味噌漬け。
焼いて食べたら、おいしかった。
こちらは、今書店に並んでいるPHPスペシャル。
エッセイ「家族のことばかり考えていた」連載9回目です。
娘の保育園のスモッグのことで、私が奮闘した話。
(松尾穂波さんのイラストが、いつも楽しみなんです!)