1人暮らしの母にも、コロナ禍からかつての日常が戻りつつある。
「最近、毎日何かしらあるんだよ」と電話で言う母によれば、
体操教室、ヨガ、ボッチャなどが、再開した様子。
つくづく、ありがたいなあと思う。
近所の方がいろいろ企画してくれて、
公民館みたいな場所で、母のような年配の人たちがムリなく体を動かせる。
それだけじゃなく、桜の季節には近所の方にお茶会に誘っていただいたという。
手作りケーキを何種類も焼いてくださり、
素敵なお庭から満開の桜の木を眺めたという。
それを聞き、先月帰省した時にお礼に伺った。
近所なのに、ちゃんと挨拶をしたこともない方だった。
「いつもありがとうございます」と言うと、
「いえいえ、全然、なにもしてないですよー」と、満面の笑顔。
「あのー、うちの母、たぶんいつも無表情であんまり喋らないので、
感情が伝わりにくいと思うんですけど、でも、すごく喜んでいました」
と、伝える。
体操教室のような催しにも関わってくださっている様子だ。
私の言いたいことがわかったらしく、
「体を動かすの、好きみたいですよね。特に何も言わないし表情ではあまりわからないんですけど、
いつも参加されるから、好きなのかなあと思って。
○○さん(母の名)ね、たまーに、笑うんですよ。
それを見ると、ああ楽しんでいるんだなあって思うんです」
なんてありがたいんだろう、と思う。
そうしたら翌日の朝、家の玄関先にタケノコが置いてあった。
たくさん採れるからあげるわよ、と言ってくださったのだが、
わざわざ茹でたものを置いていってくれたことに、さらに感激した。
その帰省の時、もうひとり母のことを手伝ってくださっている方と会えた。
車の免許証を返納した後、買い物に行くことが難しくなった母にかわって、
週に2回、近所のスーパーに買い物に行ってくださる。
そういう市の代行サービスがあるのだ。
定期的に家に来て、母を見てくれる人がいるというのは何とも心強い。
もう1年以上の付き合いになるのだが、
母の、その方への「事務的な対応」に、ヒヤヒヤしてしまう。
悪気は全くないのだが、母は人とうちとける、ということが苦手で、
年をとるごとに、それが強くなっている。
つまりは、こっちがどきどきするくらいに、母は不愛想だ。
その日もそうだった。いや、なぜだか攻撃的ですらあった。
「母は悪気はないんですけど、こういう性格なもので、
今日はなんだかひどく不機嫌で、言い方もきつくてすみません・・・・」
と、玄関先で2人になった時に、思わず口から出た。
いたたまれない気持ちになってしまったからだ。
そうしたら、その方は、
「大丈夫ですよ。いろんな方がいますから、慣れてるんですよ。
それにね、○○さん(母の名)、たまに笑顔を見せてくれるんですよ。
嬉しいんだな、ってその時にわかるんですよ」
と、気持ちのいい笑顔で言ってくださった。
思わず、おお、出た! と思ってしまった。
また言われた。
たまーに見せるらしい、母の笑顔。
そうなのだ。
仏頂面の人が一瞬だけ見せる笑顔のちから。
いつも笑顔の人とは違う、底知れぬパワーを発揮するらしい。
母は、そうやって、温かく見守っていただいて日常を送れている。
毎朝、ウォーキングが日課になっているのだが、
「○○さん、本当に偉いのよ。頑張って歩いているのよー」と近所の人が言ってくれる。
そうやって、母のことを褒めてくれ、見守ってくれる。
私は、自分の田舎が窮屈で外へ出たいとばかり願い、実際に外へ飛び出したわけだが、
今は、とても助けてもらっている。
適度な距離感がありつつ、気にかけてくれるご近所さんたちには、
感謝でいっぱいだ。
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