もしも、自分や家族ががんになったら・・・・と考えることがある。
私は父を膵臓がんで亡くした。
母は、今の私よりも若い年齢で乳がんになり手術を受けた。
母の乳がんが発覚したのは、私が高校2年生の時で、1年間のアメリカ留学を控えた時だった。
検査結果をたまたま見つけて、
どうも母は乳がんらしい、と感づいていたけれど、
はっきりと聞くのも怖く、母も特に話そうというふうでもなく、
私はそのままアメリカへ旅立った。
今にして思えば、母は相当心細かっただろうと思う。
アメリカから帰ってきた時には、母の片方の胸は消えていた。
でも、母は手術のことや自分の心の中のことを特に喋ろうとしなかったし、
私も自分の毎日のことで頭がいっぱいで、
母を気づかったり、思いやる言葉もかけることがなかったと思う。
申し訳なかったなあ、と少し胸が痛い。
それから再発もなく今に至っているので、そのことは本当によかった。
今年初めての取材が、豊洲にある「マギーズ東京」だった。
うわさは、聞いていた。
「すごくいいところなのよ。もっと早く知っていればって思った」
ご主人をガンで亡くしたその人は、
心の中のいろんな思いをマギーズで聞いてもらい、
とてもすっきりした、と言った。
でも本当は、渦中にいてどうしてよいのか途方に暮れていた時に
マギーズ東京を知っていたら、どんなに心強かったか、とも言った。
寄付で運営されているマギーズ東京。
病院ではない。
無料で、いつ行ってもいい場所。(コロナ禍の今だけ電話予約が必要)
ガンになった人、家族や友人がガンを抱えているという人、
ガンで家族を亡くした遺族、
誰でも受け入れてくれる。
看護師さん、栄養士さん、ボランティアの方々が常駐していて、
どんな悩みにも耳を傾けてくれる。
薬のこと、治療のことなど専門的なことも、
家族との関係や仕事での不安、恋愛のこと、何を話しても自由。
そこで待っていてくれる人、建物、どちらも素敵なのだ。
病院の中の無機質な部屋で、白衣の人に話をするのとは全く違う。
こんな話して迷惑じゃないかしら、
ガンと直接関係ないから、質問しちゃあいけないかしら、
医者の説明が、そもそもよく理解できないんだけど、、、、、。
病院の中では、きっと誰しも遠慮しがちだ。
マギーズでは、ただソファにどっかり腰かけて、クッションをお腹に抱えてぼーっと過ごしてもいい。
(実際、本当にくつろげた)
お昼寝に来る方だっている。
ガンの闘病仲間と、時間を決めてマギーズで会っておしゃべりして元気を養う人も。
病院ではない、誰でもウェルカムの居場所。
自分らしく生きるための力を与えてくれる場所。
もしこの先、自分がガンになったとしても、
こんな場所があれば頑張れそうな気がする。
今、その存在を知っただけで、なんて気持ちが楽になったことか。
取材が終わって、建物を出ようという時、
センター長の秋山さんが玄関口まで見送って下さった。
恐縮しつつ、スリッパから靴に履き替えるのにあたふたし、
つま先だけ足を突っ込んだ状態で、くるっと振り向いて、
「ありがとうございました」と頭を下げた。
その時、秋山さんがふふふっと優しく笑って、
「いいのよ、慌てないで。まずはゆっくりと靴を履いてね」とおっしゃった。
「そこの段差、気をつけてね」と。
じーんときた。
秋山さんの周りは、時間の流れが違う。
ゆっくりと、ほわーんと包みこまれた感じ。
マギーズ東京は、秋山正子さんと日テレの元記者の鈴木美穂さんが共同代表で
奇跡のような展開で誕生した場所だ。
まるで違うタイプのおふたりへのインタビュー記事は、後で形になった時にご報告します!