今年最後の仕事は、
夫婦でインタビューを受ける、というものだった。
ウェブ媒体。
「このコロナ禍、取材をどうしていたか」
というのが主なテーマで、
全国を対象にしているおべんとう取材について、
なかなか思うようにいかなかった2年間について、ざっくりとお話した。
ざっくり、と言いつつ、よく喋った。
つい、喋ってしまう。
いつも聞くことが仕事ゆえ、たまにインタビューをされると、
やたらと喋る自分がいて驚く。
これは、おばちゃんになったからだろうか。
おじちゃんの夫も、止まらない。
「東京商店夫婦」の取材をしていた時、
取材相手は、商店を営む夫婦で、インタビューはできるだけ夫婦揃ってお願いしていた。
そうすると、夫婦どちらかがよく喋る。
夫が喋るパターンが多いのだけど、
そんな場合は、妻が喋っている間、夫は手持無沙汰になってそわそわし始める。
その、そわそわが、確実に伝わってくる。
ふたり、をインタビュー対象にするというのは、面白くもあり難しくもある。
うちなんか、私が喋っている内容と全然違う種類のことをことを夫が喋り始め、
しかも、一段とび、三段とび、の勢いでとばしているので、
聞きながら、私がそわそわし始める。
ちょっと待った、と補足したくなったりして。
インタビューされながら、インタビューする側の気持ちにもなっている。
なーんて言いながら、
サトル君も同じことを思っていたようで、
「なあち、とまらないね」と。
今回のライターさんは、今日が初めてのインタビューなんです、
という女性だった。
緊張している様子が伝わってきて、初々しさがあった。
インタビューを受けると、
自分自身について、あれこれ振り返るきっかけになる。
しかも今回、初めての取材、という女性を前にして、
あれ、私の最初っていつだったっけ? と思い出していた。
私の場合は、弁当の撮影をしたいサトル君にくっついていくかたちで、
インタビューが始まった。
乳飲み子の娘同伴。
発表する媒体は未定。
つまり、「すみません」「お時間ちょっとください」「話をきかせてください」
と、こちらはもう「恐縮」という文字しかない。
こどもが騒いだらどうしよう、泣いたら困る、という状況のなか、
話を聞かせてもらっていたので、
あれこれ考える余裕なんて全くなく、必死すぎた。
だからその後、
娘なしで私単体で行動して、取材というものを経験した時、
ああ、最高だ!と思った。
相手がちゃんと時間をとってくれて、発表する媒体も決まっていて、
なにより、子どもの心配をせずにインタビューに集中できるじゃないか、と。
普通のことが、すごい贅沢に思えた。
最初がそんなだったから、
鍛えられたのだと思う。
人って、いろんな鍛え方があるのだなあ。
厳しい先輩とか、組織とかにあれこれ注意されて鍛えられていたら、
今の自分はいないだろうなあ。
がちがちに縛られて、
書くことを、インタビューを、これほど純粋に楽しめなかっただろうと思うから。
今回、インタビューの終わりに
「僕たち、弁当を持ってきたんです。見てもらえませんか」と言われて、
びっくりした。
今までいろんなインタビューを受けてきて、
「阿部さん、弁当を作ってもらえませんか」とお願いされたことはある。
でも、自分のを見てください、は初めてだ。
編集者さんとライターさん。
おふたりの了解をいただいたので。


お弁当を見せてもらいながら、
今度は、インタビューしてくれたふたりについて、思いを馳せる時間となる。
ライターさんのお母さんの手作り弁当。(下)
小学生の頃から、ずっと作ってもらってます、とのこと。
ただもう、羨ましいの一言だ。
とっても丁寧なお弁当から、
お母さんの顔も、家での食卓風景も見えてくるようだった。
編集の男性は、普段は自炊しないけれど今回作ってみました、という力作(上)。
夜、酒を飲みながらなのでご飯はなしにしました、ということ。
ヘルシーな鶏ひき肉のハンバーグ、厚揚げの煮物など、
金髪系の外見や、新宿のゴールデン街に詳しい、という本人と弁当の中身の
ちょっとしたギャップが面白いなあ。
弁当評論家でもないので、ただもう、
うわー、おいしそう、だけで、
しゃれたコメントもできないのだけど、
楽しい時間でした!