私が通常書く文章は、
インタビュー取材をさせてもらって、
その取材対象者のことを、文字にする。
その人にとっての、仕事とは、お弁当とは、暮しとは・・・・
そこには、書き手の「私」は登場しないし、
主役の本人をいかにひきたてるか、だけを考える。
それゆえ、私は自分の肩書を「ライター」としている。
時々、エッセイを依頼してもらえるようになった。
10月おわりに丹波・丹波篠山を旅したのは、「旅ものエッセイ」のため。
「私」の視点で原稿が書ける。
これはとても自由で楽しい。一方で、訪問先での取材もあったので、
そちらの方々の魅力も存分に伝えなくてはならず、
そうなると、テープ起こしをして原稿を書くので、単に自由気ままという文章ではなくなる。
これはこれで、やりがいがあって好きだ。
大人になってから、大学時代の友達に言われたことがある。
「なあち、北海道一周の旅したことあってんなー。
そん時、旅ノートゆうか、旅の記録みたいなのを、帰ってきてから「読めー」ゆうて渡された記憶があんねん。
あれ、おもろかったなあ」
大阪出身の男子で、大学時代もずっと大阪弁だった。
思わず赤面。
私、無理やりノートを読ませていたらしい。
人は結局、同じことをずっとやっていくのね。
日記や旅ノートの延長に、今がある。
今日は、「家族」についてのエッセイを書いている。
これは、私のなかでは超個人的なものになる。
6回の連載をお願いします、と初めての編集部から声をかけてもらって、
本日書いているのは、第4回目。
連載タイトルは「家族のことばかり考えていた」。
もしかしたら、「おべんとうの時間がきらいだった」(岩波書店)
を読んでくれた方が、
その後の私の家族についての記述を期待して、
このブログを見つけてくれたかもしれない。
でも、父や母のこと、個人的な家族の話題にはほとんど触れていないことに
すでにお気づきのはず。
ブログに書くのは、ちょっと恐ろしい。
私はたぶん、書きすぎると思うのだ。
日記を書くように、わーっと書いてしまいそうだ。
読む側としては、そういうものは面白いはずだけれど、
(私が逆の立場だったら、ぜひ読みたいから)
書くということはやっぱり責任を伴うし、
言葉の力は重くて、誰かを傷つける威力がある。
だから、ブログのように、気軽に書けてしまうものは恐ろしい。
原稿として編集者の手に渡す場合、
文字数の制限もあって、あーだこーだと、言葉を選ぶ。
私は筆が遅いし、うまく書けないので、いつも頭をかきむしりながら書く。
たぶん、それくらいが丁度いいのだ。
そうやって、「家族」について向き合って言葉にするくらいが
今の私には合っているのかもしれない。
そんなわけで、短いエッセイながら、
自分に向き合って書いてます。

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