この気持ち、知っている

娘が地方で1人暮しを初め、夫婦ふたりの生活になった。
今日で4日目。
家のあちこちに娘の気配が残っている。
例えば家を出る日の朝まで着ていたセーターがいつもの定位置に置いてある。
食事の支度をする時には、娘のご飯茶碗が目に入る。
溜まっていたレシートの整理をしていたら、ああ、一緒にパフェを食べたんだった、と思い出す。
そういう時、胸がぎゅっと掴まれたみたいな気分になる。

不思議なもので、近所を自転車で走っていても、
いつものように朝公園をウォーキングしていても、風景が全く違って見える。
新緑がきれい、八重桜が見事だ、風が心地いい、と感じながら、
自分自身がふわふわと漂っていて、どこか別の場所にいるみたいな気がしてしまう。

娘が大学進学で親元を離れる決心をしたことを、夫も私も大歓迎した。
それは、私たち自身が経験してきた道だ。
サトル君は、中学を卒業して、当時は全寮制だった館山にある海員学校(海上技術学校)に入学。
私は、高校時代に1年間アメリカに留学し、埼玉県内の大学へ。
最初の2年間は寮生活、その後は1人暮しだった。
いい経験だった、と今つくづく思う。

でも、今思い出している。
アメリカに留学したくてしたくて行ったわけだけど、現地で感じた強烈な心細さといったらなかった。
高校に通い始めた当初の、孤独感。なんせ、ひとりぼっちで言葉も学校のルールも何もかもわからなかった。
毎日胃が縮みあがっていて食欲はないわ、心の余裕がなくて笑顔もでないわ、いつも陰気な顔つきだったはずだ。
あの時のどうしようもない心細さを、今ありありと思い出している。

大学に入りたての頃だって同じだ。
寮に馴染めるか、一人っ子の私が2人部屋でやっていけるのか、
大学生活はどんなだろうか、心細くてやっぱり食欲減退。泣く寸前の気分だった気がする。
私は「心細さ選手権」があったら、ダントツの一位だったはずだ。
周りからはそうは見えなかったと思うけれど。

それに比べて、周りの皆はとびっきりの笑顔だった。
希望いっぱい、やけにキラキラして見えた。
ぐずぐずと思い悩んで暗い気分でいるのなんて、自分だけだと思った。
そうなのだ。私は思い切ったことを選択するわりに、実際に環境が変わる時が本当に苦手だ。
いつだって、密かに不安な気持ちとたたかってきた。

ああ、あの気持ちだ!と娘を見て思い出したのだった。
ラインのビデオ電話で見た娘の表情が、まさしくあの日の私だったから。

最初からzoom授業で、一日中部屋にこもって講義を受けなくてはいけない娘は不安だろうと思う。
新しい出会いに心躍らせていたのに、出鼻をくじかれてしまった新1年生。
(今の2年生は、半年間全く学校に入ることも叶わなかったらしいので、その心中を思うとさらにせつない)

というわけで、うん十年前の自分を思い出し、娘の状況を想像すると胸がとても苦しい。
つづいて、母の立場になって娘がいないことがさみしい。
あれま、ダブルである。

でも、これは時間が解決してくれることも知っている。
きっと、新しい生活に馴染んでいくはずだ。
娘も、私たち親も。
それまで、弱音を吐きながらでもいいのさ。
いつか、あの時はさあ、と笑える日がくる。






















by naomiabe2020 | 2021-04-09 15:18 | 家族のこと | Comments(0)

フリーライター阿部直美のブログ。カメラマンの夫とともに、「お弁当」を追いかけて日本全国を旅しています。日々のちょっとしたことを綴るブログです。


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