一泊で北海道・帯広へ。
ぽっかり空いたひとり時間に、さて、どうしようか、と考える。
バスターミナルに座っていると、窓口の女性スタッフ同士の
「蜷川実花ってすごい」「お父さんって、有名な人ですよねー」等々、
楽しそうな声が聞こえてきた。
そういえば、駅にもポスターが貼ってあった。
「北海道立帯広美術館」で12月6日まで「蜷川実花展~虚構と現実の間に~」をやってるらしい。
私は、”行き当たりばったり派”だ。
ネットで行きたい場所をあれこれ調べて予定を立てることはほとんどしないので、
その場に行って、なんかないかなー?ときょろきょろしている。
だから、効率よく素敵な場所とか流行りの場所には行きつかないのだけれど、
たまたま入った喫茶店が良かったり(そうでないこともある)、
誰かがいいと言ってた場所に行って結構面白かったり(そうでもなかったり)する。
そういうのが好きだ。
私は子どもの頃から、予定通りが好きでなかった。
それは両親が、日々のルーティーンの中に生きる人たちで、
毎日同じ時間に同じことを繰り返し、同じものを食べることを好んでいたからだ。
きっちり組み込まれた中で暮らすのは、息苦しい。
自分が好きで決めた時間割ならばいいだろうけれど、ひとが決めた決まりごとのなかに押し込められると、
これはもう、苦痛以外の何物でもないから、
枠組みをとっぱらう、ことにこそ、自由を感じる。
それもあって、旅する時に予定をきっちり決めると、途端に息苦しくなってしまうので、
私はいつもほとんど決めない。
でもまあ、この20年は基本的に取材旅がほとんどなのだけれど。
(取材旅の時には、取材以外のことは予定に入れない。
ぽっかり時間が空いたら、その時に考える)
私の母はというと、きっちりと予定が組まれている「バスツアー」などが大好きだ。
時間割がきっちりしていて、効率よくあっちこっちを回ってくれて、
いつも急かされている感じが、好きなのだ。
私は、絶対に無理だ。
まあ、そんなわけで、思い立って帯広美術館へ。
帯広駅から乗ったタクシーは女性の運転士さんだったのだけれど、
「どちらから来ました?」と聞かれて、とっさに「関東地方からです」と答えてしまった。
ああ、私、東京って言えなかった、やだ、ごまかしちゃって、と急に居心地悪くなってしまう。
バスの窓は数センチあいていて、換気に気をつけていた。
運転士さんも私もマスク。それでも、東京と大きな声では言えない自分がいる。
蜷川実花さんの写真展は、けっこう賑わっていた。
写真撮影オッケイのブース(花の写真)では、おばちゃま達が楽しそうに携帯で撮影していた。
パキッとした色鮮やかさが、蜷川実花の世界で、
お花畑にいるような、いやいやもっと怪しい世界に迷い込んだみたいな感じ。
芸能人のポートレート写真は、撮影不可。
私は、お父さんの蜷川幸雄さんが死に向かう日々のなかで撮った、
ごく普通の街の写真がいいと思った。
悲しい日なのに、空が青くて太陽がまぶしくて、静かな美しい日だった、というのが、
確かに現実ってそうだよな、と思う。
いわゆる芸能人の、キメてるポーズの写真は刺激的で面白いけれど、
私が写真で好きなのは、ごくふつーの日常を切り取ったものだなあ、と思った。
お母さんと小学生の娘さんの二人組が、楽しそうに写真を見ていて、
「たまには、こうやって芸術に触れるのが大事なんだよー」とお母さんが言っていた。