本日、「おべんとうの時間がきらいだった」(岩波書店)の3刷が届く。
重版となりました!!(重版の時には、1冊、刷りたての本が届く仕組み)
嬉しいです。本当に、心から嬉しい。
岩波書店の本に関して、全国の書店さんは「買い切り」のため、売れない場合は返品というわけにいかないのです。
そのためもあって、知名度もなければ、ただのライターでしかない私が出した本を仕入れるということは、
きっと書店さんにとっては、相当な冒険なんだと思う。
本屋さんにに置いてもらうことが、難しい。
なんとか1冊置いてもらえても、平積みまでは相当厳しい。
・・・・そんな状況でも、わざわざ私の本を見つけて読んでくれる人がいて、
じわじわと売れてくれて、重版!!
なんて、ありがたいんだろうと思う。
本を出版後、いろんな媒体から取材を受けた。
新聞、雑誌、ラジオ。
そのたびに、自分が喋れることはすべて喋ろうと思って臨んできた。
でも、実はずっと気になっていたことがある。
母について。
本を読んでくださった方は、気づいただろうか。
私にとっては、父との関係よりもむしろ、同姓である母との関係のほうがある時期から難しかった。
女どうしゆえ、求めるものも大きかったし、自分が恋焦がれる母像が強すぎた。
しかし、本の中に登場する「父」の存在感といおうか、その在り方があまりに独特で、
強烈で、暴力的な部分もあって、目立つ。
皆、「お父さん、すごかったですねえ」と感想を伝えてくれる。
はい、本当に強烈だったんですよー、と私は答える。
でも、みんな母のことは言葉にしない。
それは、気を使ってのことなのか、父の陰に隠れてしまい、かすんでしまったからか。
この本は、家族について書いた本だ。
「おべんとうの時間がきらいだった」のタイトルと、私が「おべんとうの時間」の著者だということもあって、
どうしても、料理本コーナーに並ぶことがあるのだけれど、
これは、家族について書いた本だ。
もっと言えば、外からは見えない家族の闇のなかで、もがいてもがいて、何とか自分の道を見つけた話。
さらに言えば、発達障害があったであろう両親のもとで、「共感」が成り立たない暮しがどんなものであったのか、
を書いたもの。
うちの場合は、父と母のふたりとも発達障害だったことが、状況をこじらせた。
私は本の中では、発達障害という言葉を一切入れなかった。
今こうやって書いたのが初めてで、実はドキドキしている。
その言葉でくくることで、読み手が、「ああ、発達障害ね」という方向から物事を見ることが嫌だった。
なぜなら、発達障害という概念が世の中で受け入れられたのは、ここ10年くらいのことで、
私自身、父を観察して、母を観察して、毎日毎日観察して、それでもふたりのことがわからなくて、
もがいてきたからだ。
それをそのまま、本にした。
読者が、私の「なぜだ?」を一緒に考えてくれることを望んでいたから。
コロナ禍で、家族の闇は深くなっていないだろうか。
外へ出られず、内へこもらなければいけない中、
苦しくてたまらない人がいるはずで、それはかつての私自身だ。
母との関係は、常に波乱にとんでいたのだけれど、
今は穏やかで、いい関係で落ち着いている。
本をどう受け止めてくれたか、が一番気になったところだけれど、
「この通りだったよ」と母は言った。
「うん、本当にこの通りだった。お父さん、よくもあんなに怒鳴っていたよね」
母にとってこの本は、いばっていたお父さんについて書いてある本、というところだろうか。
傷つけてしまったかな、と心配もしたけれど、
そういう読み方、とらえ方はしなかった。
それが、母だ。
でも、それこそ母らしくて、いいんじゃないか、と今は思う。
母には母の人生があり、今ひとりでしっかりと生きている。
傷ついて、後悔して、悩んでしまったら、先の人生がつらいだろうけれど、
そうじゃないから、娘としては良かった。

こちら、山形県に住む了くんの親戚が毎年送ってくれる柿!
芸術的な並べ方。
これを半分、母に送りました。
この柿を、母は毎年心待ちにしていて、今年もすごく喜んでくれた。
たぶんご近所さんにも配っているはず。
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阿部了&直美のホームページ「ひるけ」にアドレスがあります。
こちらのブログでは、公に公開されてしまい、非公開の設定が私にはよくわからないのです。
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