取材で、新潟県へ行ってきた。
時間に余裕ができた時、私たち夫婦が足を運ぶのは地域の直売所やスーパーなどで、
果物、野菜、時には魚などを買いこんで、そうでなくてもカメラ機材がたんまりあるのに、
バッグの中に野菜などを押し込んで帰宅する。
今回は、自家用車なので荷物が増えても問題なし。
帰り道に、地場の野菜を買うつもりだった。
一面の田んぼを眺めながら車を走らせていると、「道の駅」を見つけた。
いいかんじ。店に入り、まずはぐるっと一巡りしていたら、
サトルさんが神妙な顔つきでやってきて、「入口のはり紙見た?」と聞く。
そこには、「重要なお知らせ」とあった。
全く目に入っていなかったよ。なになに・・・
「新型コロナウィルスの感染状況により都道府県知事が他県等への移動の自粛要請を行うなどした都道府県に居住する方につきましては、
施設の利用をお断りします」とある。
「東京都 熊本県」
一瞬、くらっとした。
そして、すぐにここから出て行かなきゃ、という気持ちになった。
周りに気づかれる。東京人だってこと、気づかれる。
さっきふらふらと中を歩いたけれど、誰か私に気づいたかしら。
ああ、早くここを出ていかなくちゃ。
なんだろう。
私はそう思って、大急ぎで駐車場に向かったのだった。
東京のナンバープレートを人に見られたくなかった。
その後、車中、夫婦で沈黙になった。
慌ててあの場を離れたけれど、そういう心理状態になったけれど、
でも、あれだよね、私たちが行ったのって道の駅だったよね、
それに、東京のほかに熊本県って書いてあったよね、なんで?
頭の中で、じわじわといろんな思いが押し寄せてくる。
お腹が空いていたけれど、「どこかに入ろう」とさっきまで言っていたけれど、
こういう時、どの店にも来るな、と言われている気がしてきて、
地域全体から、出て行って、と言われている気持ちになって、
お腹は鳴るのだけれど、店に入れなくなってしまった。
(最終的に、街中に行き食事ができた)
そのあと、いろいろな思いが巡っていたのだけれど、
「熊本」と書いてあったのがよくわからず、その道の駅の管轄の市役所の部署に電話を入れると、
「県外への移動自粛を要請した都道府県ということで、熊本県です」という。
そして、私たちが訪れた道の駅のほかに、市が関わっているもうひとつの「道の駅」と、
市の管轄の「公園」、公民館や図書館も
東京在住の人と熊本在住の人は利用お断り、という。
東京の人に来てほしくない気持ちは、わかる。
それは、よくわかる。
でも、市町村が「お断り」をすることに驚いた。
さらに熊本である。
感染者数でいったら、大阪や愛知、福岡じゃないのか。
熊本県が県民に移動の自粛を呼びかけたのは、
コロナが流行っている他県でうつるケースが多く見られたために、
なるべく自分の県の中で過ごして下さいね、ということだと思うのだけれど。
新潟のその地域へ行く熊本県人が、それほど多いとは思えない。
思えないけれど、誰かはいるはずで、ピンポイントで「熊本県」と言われて、
その人はどう思うのだろう。
「自粛要請」の本来の意味とは違う解釈だと思う。
今回の私たちは、仕事で訪れたわけで、
あのお断りはショックではあっても、しょせんその場限りである。
もし私があの地域出身で、1人暮しの母がそこで暮らしていたら、と考えてしまう。
私はこの数か月に、群馬の母のもとを何度か訪れた。
母が、体調を崩して入院し、退院した。
ひとり娘は、県外に住んでいたとしてもとにかく動くしかない。
でももし、あの地域だったら、と思うとぞっとする。
市の方針として、「東京在住者はお断り」と言っている。
つまり、”その地域”の代表者から来るな、と言われているのと同じことで、
その空気は、その地域に住んでいる人たち全体も共有していると感じるのだ。
人には、それぞれの事情がある。
東京から、熊本から、新潟のその場所に通わなくてはいけない人はいるはずだ。