昨日、取材場所へ向かうため、朝7時代の電車に乗った。
急行。ところが、ドアが開いた瞬間、「あ、だめだ・・・」と足がすくむ。
すでにぎゅうぎゅうの満員電車で、
私のレーンに並んでいる皆が乗り込むスペースはないに等しい。
でも、なさそうに見えて、
最終的にパズルのピースみたいにうまくおさまるのが、日本の満員電車。
押されるようにして、一歩足を踏み入れたのだけれど、「だめだ・・・」とどうしてもその先へ行けず、
「すいません」と謝りながら、サラリーマンの皆さんの間をすりぬけて電車を降りた。
結局、地下鉄にもぐるほうの、各駅停車を選んで乗る。
こちらは、もみくちゃにはならずに済んでほっとした。
コロナ、でソーシャルディスタンスなんて言っているけれど、これが、現実だ。
肩が触れるどころではない、完全密着。
コロナで、足がすくんだというより、久々の満員電車のすごさに圧倒されて乗れなかった、というのが正しい。
それが、昼頃の電車に乗ると、様子は一変して、ひと席ごとに間が空いていて、
その隙間に座ることさえ、ちょっと申し訳ないような気がしてくる。
人との距離感を常に考えさせられる。
知らない人と完全密着なんて嫌だけど、距離を、と言われることがしんどい。
インタビューをしていて、私はどうもじわじわと、相手ににじり寄っていくところがあるらしい。
写真家の芥川さんに言われて、ええ?本当ですか?!と驚いたのだけれど、
意識してみれば、確かに話に夢中になっているうちに、椅子をずずずっと移動して近寄ったり、
首を伸ばしたりして、ついつい相手に近づいている。夢中になると、そうなっている。
で、コロナ。
距離感を、と自分でちょっと意識しているのだけれど、難しい。
忘れる。それくらい、話を聞くことで一生懸命すぎて、他のことまで気がまわらん。
おっと、いけない、近すぎた? と後でちょっと反省する。
ここ最近の取材は、マスクをしている。
それもあって、相手の声が聞き取りにくい、というのもある。
ああ、マスクなしで表情を見ながら、クリアな声を聞きながら、
インタビューをできる日が待ち遠しい。
そんな日が、いつ来るんだろう。
人の表情というのは、言葉以上のものを表現していると思うから。
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