無事、本の刊行となった週末、娘の学校の保護者会の帰りに書店へ。
これほど、ドキドキする瞬間はない。同時に、怖い。
大型書店ならば、置いてくれているはず、と思うのだが、もしなかったら? どの棚か? と心がざわざわする。
まずは、いつもデパートで買い物をした時に立ち寄るS書店。
いつも寄る、ということは個人的に好きな書店ということで、勝手に期待が高まるのである。
あれれ? ないよ。
先週、岩波書店の広告が朝日新聞に載った時、同じ6月刊行に沢木耕太郎さん「星をつなぐために」や、
木内みどりさんの「またね。」が同じ広告ページに並んだ。
沢木さんのご本は、沢木耕太郎セッションズ「訊いて、聴く」の4部作の最終巻の4部目。
特別コーナーに、ずらっと素敵に並べてあった。
木内さんのご本も、平積みで。
それぞれ、ノンフィクション、エッセイの本が並ぶ一角にあった。
やはり、この場所に置いて欲しいと願っていた私は、この時点でちょっとしょげる。
ふと、移動式カート(これから本を並べるための本が置いてある)を見ると、
自著「おべんとうの時間がきらいだった」が、何冊もカート上に置いてあった。
おお、まさしく今、書店員さんが本を並べようとしている!
なんて運がいいんだろう、と思いながら、ちょっと離れた位置から見守ることにした。
ちらり、ちらり。
ちょっと一周してくるか、とあたりを一巡りしてから戻ってくると、
カートの中に自著がない。
ところが、私がこのあたりか、と考えていた置き場所にも自著はない。
どこにもない。
むむむ・・・・。予感がして、検索をかけてみたところ、
上の階の、料理本コーナーに置かれていることが判明。
それは、「おべんとうの時間」(木楽舎)1~4が置かれてある、
いわば私にとっては馴染みのある、コーナーだ。
そこに、料理本や料理エッセイと並んで、自著が平積みされていた。
もう一か所、実用書の新刊コーナー(この存在は知らなかった)にも。
クッキング本や、チコちゃん本、片付け本などと並んで、自著があった。
「おべんとうの時間」の著者である私にとっては、
その本がある場所に、「おべんとうの時間がきらいだった」を並べていただくことは、ありがたい。
なぜなら、どっちも売れたらいいな、と思うからだ。姉妹版ともいえる。
「おべんとうの時間」を読んでくださっている人、おべんとうとか料理に興味がある人が、
この本を手に取ってくれるかもしれない。
しかし、今回の本は、料理エッセイではない。
そう思って手に取ってもらったら、最初からげげげ、と引いてしまって読み切れないかもしれない。
話が違うよ、と怒りたくなるかもしれない。
今回は、「読み物」というカテゴリーで本を出したかった。
料理エッセイというくくりではなく、家族について書いた本だ。
だからこそ、文芸のコーナーに置いて欲しいと願っていたし、
本の装丁を考える時も、「読み物」を意識した。
文芸のコードで配本されたものだから、文芸コーナーの移動式カートの中に最初はあったのだろうが、
それを、きっと気を利かせた書店員さんが、料理本コーナーに持って行ってしまったということだろう。
私自身が、S書店のノンフィクション、エッセイなどの文芸コーナーに対する思い入れが強いもんだから、
よけいに、ショックなのだろうな。
あの場所で、自分がいろんな本に出合ってきたように、誰かがこの本に出合ってくれたら嬉しい、という思いが強かったから。
本屋さんは、毎日すごい数の本が入ってくるなかで、置き場所には相当苦慮しているだろうと思う。
だから、それを思うと頭が下がるし、私など無名ライターだから大きなことなんて言えないのだけれど。
しょんぼりしつつ、J書店へ行くと、
こちらも料理本コーナーに置いてくださっていたのだが、
入ってすぐの大きな棚にも、並べてくれていて、嬉しくなった。

斜め下に、沢木耕太郎さん。
そして、その隣は私が今読んでいる大好きな内田洋子さんの「サルデーニャの蜜蜂」が!
あちこちの本屋さんに行きたいけれど、
同時に怖い。
本屋の棚で挙動不審な人がいたら、それは私です。