本の表紙をどうしようか、というのは最高にわくわくする作業だ。
例えば、「おべんとうの時間」(木楽舎)シリーズの場合は、弁当を食べる人のポートレート写真がどかーんと一面にくる。
「手仕事のはなし」(河出書房新社)では、福島県で張り子人形を作るアサさんの写真。
座布団の上にちょこんと座って、人形つくりをする94歳のアサさんは、その存在感がすごかった。
つまりこれまでの本は、阿部了の写真ありき、で表紙が決まった。
しかし今回は、エッセイだ。
「好きにしていいですよ」と岩波の編集Uさんに言っていただき、
さて、私はどんな本が好きだったっけ? と考えた。
本屋に行って、平積み本を片っ端から見る。
改めて表紙ばかりを見ていると、これが好き! というのが案外見つからない。
インパクトはあるな、とか、面白いデザインだな、とは思っても、それ以上ではない。
じゃあ、普段私はどんな本を手に取るんだろう?
なんか、目が合う本っていうのがあるのだ。
手にとってぱらぱらっと見たくなる本。
でもそれは、好きなタイプの絵やデザインっていうわけでもない。
「おべんとうの時間がきらいだった」が、新刊のタイトルだ。
ひとつ言えることは、「べんとう」を表紙にしないこと。
これだけは、最初から決めていた。
好きなもの、好きな雰囲気・・・・・と考えていて、
酒井駒子さんの本を見つけた。
彼女の描く少女や少年が好きだと思った。
実は、今回の新刊エッセイに関して、表紙に写真を考えたことがなかった。
それまでに出した本が、ごく当たり前にサトル君の写真が表紙だったせいもあって、
今回は、読み物として違うものにしたかった。
絵がいいのかな、じゃあどんな絵? と考えるうち、
私がイメージするのは、結局は少女なのだった。
女の子。つまり、それは私だ。
そんな時、「娘さんの写真は?」と、Uさんから提案され、
おおっ!と思った。
そうだった。そうだった。実はそれが、あったっけ。
べんとう旅を一緒にしてきた娘。
よちよち歩きの時から、いつも旅巡業は一緒だった。
彼女の姿は、かつて少女だった私にもだぶる。
というわけで、表紙まわりは写真となった。
決まってみると、なるほど、この本にはこれだったな、と思う。
今週、表紙の色校が出て、ようやく新刊の顔が見えてきた。
あと一歩。
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